自身のアイデンティティに悩みながらも、努力を重ねてきた岩崎さんのお話(横浜市で暮らす外国人トークリレー/第13回)

外国につながる皆さんに、生活の中での日本語との関わりについて話していただくコーナーです。
多感な12歳のころに来日し、自身のアイデンティティに悩みながらも、どんなことにも誠実に、投げ出さずに努力を重ねてきた日系三世の岩崎さん。
現在は、自身の境遇や経験を活かして、通訳・翻訳サービス、輸出入コンサルティングなどを行う会社を立ち上げ、ペルーをはじめ、日本と世界をつなぐビジネスを展開しています。多様な経験を通して育んだ幅広い視野を武器に、日本での挑戦は続いています。

岩崎 ホセミゲル さん
ペルー出身・日本に来て26年
『ペルーでの私、日本に来てからの私…どちらの自分も大切にしていきたい。』
日本に来た理由
1996年に起きた「在ペルー日本国大使公邸占拠事件」をきっかけに、家族で来日しました。当時、日本政府はテレビやラジオなどで、日本とつながりのある人たちに日本に来るよう呼びかけていました。両親は悩んだ挙句、持っていた土地などを売って飛行機代に変え、日本に移住することを決めました。私たち家族は日本にルーツがあると言っても、誰も日本語が話せませんでした。純粋なペルー人として育った私は、日本の場所さえも知りませんでした。
日本に馴染むことが第一だった思春期
このような状況の中で、日本の中学校に通い始めました。日本語が分からないので、友だちとも上手くコミュニケーションがとれません。「早く日本に溶け込まなきゃ」という焦りが日に日に大きくなり、必死に日本語を勉強しました。また、同じく日本語が話せない父親が毎日必死に働いている姿を見て、「自分が頑張って恩返しをするんだ」という気持ちを胸に秘めるようになりました。そしていつしか、「日本人になりきる」ことだけを考えるようになり、ペルー人としての自分を無意識のうちに消し去っていました。
私はペルー人?日本人?
高校生になる頃、ある出会いがありました。教会で知り合った同じ世代・同じ境遇の友達です。彼らは日本語を上手に操りながらも、自身のルーツ・文化に誇りを持っていました。「ペルー人のまま、自然のままでいいんだ」…日本人になろうとしていた私にとって、考えが大きく変わる出会いでした。
同じ頃、地域に住む在日ペルー人への通訳を頼まれるようになりました。「ペルーと日本をつなぐ仕事がしたい」という気持ちが芽生え始め、大学では国際関係の学科を専攻しました。「2つの文化を活かした人生を歩みたい」 さまざまな経験をとおして、現在のベースとなる考え方に変わっていきました。
マグロ業界に起こした旋風
大学卒業後はいくつかの業種で仕事をし、難しい状況の中でも最善を尽くしながら、成果を上げてきました。転機が訪れたのは、メキシコの会社から任された、メキシコ産養殖マグロの日本への輸出業務。産業用電池やルーペなど、さまざまな製品を扱ってきた私も、全く未知の分野に不安でいっぱいでした。
「伸び悩む売上を改善するには?」…まずはマグロ業界のことを知るため市場に何度も足を運び、仲卸の方々に積極的に話しかけました。最初は相手にしてもらえませんでしたが、誠実に向き合い信頼関係を築くうちに、業界の内情を教えてくれるようになりました。それらがヒントとなりビジネスは大成功。今では、海外産養殖本マグロを日本に売るシステムは、私のやり方が主流になっているようです。
夢が叶ったその先は…
2021年、これまで培ってきたノウハウを活かして、日本と海外をつなぐ会社を立ち上げました。大変なことも多いですが、夢を叶えることができて楽しいです。将来的には海外事業だけでなく、地域に住む皆さん一人一人が楽しく過ごせるための仕組みをつくり、社会に還元していきたいと思っています。日本に来たことをターニングポイントとして捉え、「私だからできること」を探し続けていきたいです。
(掲載誌:情報冊子「にほんごコミュニケ―ション」2023年11月号)